令和6年9月 岡山笠着百韻隋聞記
岡山県連句協会・昴は9月29日(日)岡山後楽園観騎亭において第22回おかやま県民文化祭の参加行事とし笠着連句百韻を興行した。
後楽園園内の観騎亭にて午前10時から開始して午後3時半に百韻を巻き揚げるという超高速の運営であった。これは発句とそれ以外の三つの折端から同時進行するという独特の形式によるものであるとともに、会場の観騎亭の中では付け句をする人があふれるほど多数の参加者があったためである。
捌の佛渕雀羅さんによれば「百韻という形式を選んだのは参加者の人数からみると歌仙形式では短いのではないか、また『連句の翼に乗って』というテーマからできるだけ多くの方々に連句の体験を手軽にしてもらいたい、との考えから笠着連句の形式を選んだ。岡山連句協会の方々の熱い思いと準備の周到もあり思いのほか順調に運んだ。岡山朝日高校の生徒さん5名が先生と一緒に参加し熱心に取り組んでくださった。鹿児島からは6名の方が参加され、一句しか残せなくても参加するという、俳諧の諷交、風狂性にあらためて感銘を受けた。そのほか佐賀、奈良、兵庫、京都、東京からの参加者があった。」治定された句はすべて「昴」総務であり書家である今村華紅さんにより短冊に墨書され、百句が緋毛氈の上に並べられたところはまれに見る壮観であった。
岡山の町はどこへ行っても桃太郎が顔を出す。駅前には桃太郎の像、桃太郎通り、居酒屋桃太郎、“桃太郎電鉄“(写真)など。地元の人は岡山は桃太郎伝説発祥の地だと云う。この桃太郎の街の北東に岡山城と後楽園とがある。岡山城は戦国期に宇喜多直家・秀家二代によっておおもとの縄張りが行われ、関ケ原の役の後、この地を領有した池田家によって城郭として完成される。現在の天守は戦災によって焼失したものを昭和58年に往時の姿に復元したものであり、後楽園へ渡る月見橋から見れば烏城と称される威容を示している。後楽園の苑池は藩政時代は御後園と呼ばれていたようで、大名庭園によく見られる林間回遊式ではなく、広々とした芝生の空間とそれをぬって走る曲水によって構成されており、築山のうえから全体の景を俯瞰すれば、これは一見の価値ある大パノラマである。ここに立った藩主池田公の矜持が偲ばれる。 日本連句協会理事長 林 転石
百韻「城の秋」
烏跳び鶴のうらやむ城の秋 佛渕 雀羅 (烏城改修工事の竣工を寿ぎ)
白萩揺らす一陣の風 今村 華紅
月を誉め豆柴誉めて酒誉めて 石見にゃん子
古文書好きが車座になる 樋口 ちゑ
情報の溢れてみんな物知りに 磨家すずり
土けむり立て奔る伝令 田中 立花
空蝉の踏まれて元の道となる 末廣はるな
背の古傷の疼く梅雨明け 平野鉄線花
<表八句まで>
