■そうですか。富士さん、連句・俳句が毎日の元気の糧になるということでしたら、あんまりゆっくりしないで次の銅鑼の合図に行きたいと思います。「 連句とはなんぞや?」は連句30年の私もはっきりしたことは言えないですが、わからないということが嬉しくもあります。連句は、その人の望むものなんだということも出来、その人がなさりたいようにすればいいいし、結局はそうする他ないものです。連句は膨張する宇宙に似ています。良寬さんの例の、
淡雪の中ににたちたる三千大千世界(みちあふち) またその中にあわ雪を降る
という歌にある現実と虚構の入子構造には眩暈を覚えますが、連句の時間もこれに似ているといつも思います。ただの言葉遊びだと思えば連句はそういうものになるし、実人生と同じほど分厚いリアリティがあると感じられれば連句はそのようなものとして応えてくれます。つまりは連句はその人の望むものです。