雀羅様
毎回明確でユーモアのある捌きを楽しみに参加させて頂いております。
三句の転じについて質問させてください。観音開きを避けるために自他場の区別を用いて変化をつけていく場合、その区別の仕方(や加減?)が難しく、いつも悩んでおります。
たとえば、今回の巻の表にある三句──
上司と似た名いつも見つける 芳
潮の香の導く先に海と空 村宅
丸太くり抜き翌に漕ぎ出す 安庵
中の一句をはさんで前の句と後の句は、人情自の句であるという意味ではおそらく観音開きかと思うのですが、どちらもまったく違う場面を詠んでいて雰囲気も異なるので、そこで転じが効き、打越と付句が同種・同様になるのを妨げている、という解釈でよろしいでしょうか。
この自他場による付け方は式目のように厳密に従うべきか、あるいはひとつの判断のあり方としてなるべく尊重していくという姿勢でよいのか、この付け方法に対する向き合い方のようなものを教えて頂けると有難いです。
的外れな質問になっていなければよいのですが。
どうぞよろしくお願い致します。