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#48581
雀羅
ゲスト

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米字「風鈴を」           2019.7.13 起首
 
風鈴を見てゐる猫の夕かな           桃太郎
 ほたるぶくろに灯(トモシ)入る頃         雀羅
咳払影絵の舞台整ひて              うに
 空気読まない派手な着信            芳
九時五時をしっかり守り窓際に          笑女
 八枚切りのパンは売り切れ            に
なで肩の影をふみふみ小望月           安庵 月・秋
 へちまを下げる宗匠の路地             桃

さわやかにキャッチボールの捕球音         芳
 牛若丸は甲子園かも             しをん
恩師への弔辞を諳んじてをりぬ            閑坐
 花に雪ふる昼の邂逅               羅 花・春
佐保姫はお菓子のように化粧して           桃
 髪をバッサリ切って二幕目            坐
半刻をいけない人と蛍舟               女
 夏の霜にはゆため息が溶け            庵 月・夏
ペン先のインク固まる文机             芳

○「文机」は「ふづくえ」「ふみづくえ」どっちでも読めますね。庭を照らす月影を見ながら、遅々として進まぬ筆、といった状態を詠んでいると思います。「ため息が溶け」~「インク固まる」と対語になっているのもいいです。

前句「夏の霜にはゆため息が溶け」と書いてしまいましたが、はい、これは私の書きミスです。こういうところは遠慮無くばっちり指摘して下さい。

「ひとカラに見つけこころの置き処 うに」、「ひとカラ」は「ひとりカラオケ」ということなんですね。こういう略語はもうずいぶん行き渡っているのでしょうか。現代の俳言ともいうべき省略語が共感を得られるかどうか、是非を一概にいうことは出来ず、詠まれ方次第というところでしょうね。

「打ち減りし薬石板に山の風 しをん」、「薬石板」というのは禅院の「魚板」のことでしょうか。時と告げるものだとすると打越の「半刻」と通じるか。

「恐竜の眠りを覚ます大地震 桃」、地下の異様なエネルギーに共振るす前句「夏の霜」です。「注連縄を殺生石に巡らして」、こちらも前句を尋常でない気配に繋ぎました。

「卒業のアルバム眺めあの頃は 閑坐」、「卒業」は春の季語になり、連句では春の季語は五句去らないと使えないというきまりがあって、前の「佐保姫(これも春の季語)」からまだ三句しか隔たっていませんので、ここは前の句の季のない「同窓の」の方ががよかったです。前句の「ため息」に応じた付けですね。

安庵さん、月を2回詠んだからといって自分を責めるようなことではありません(^^) 何しろこの米字形式は月が7回も出て来ます。一応、「月花一句」といって、月花は分け合って詠むというの麗しいとされますが、昔の人たちも子どもたちがケーキを分けるみたいに公平に詠み分けているわけではありません。かつて、『とくとく歌仙』という、丸谷才一、大岡信氏らが詠まれた連句の本がありますが、一人で歌仙の花を全部詠んだり、月花を一人で詠んだりしており、「月花一句」の意識はないのだなと思ったものですが、もう一度この本を開いてみましたら、大岡氏が対談の中で以下のように言われてい
ます。「定座という考え方をきちんと守って順序通りやると、一人の人が月と花を何度もやるということがおこりますが、季節によって、どんどん定座が違ってますからね」。これが「月花一句」を守れないことの理由だとしたら、どう思いますか。

丸谷氏は別なところで、「三月二花だから、月の句が三回、花の句が二回出るわけですね。どうも月と花の句については、あらかじめ用意しておく方がいいんですね、いちおうね」と言い、それに大岡氏は、「どうも、そういう気がしますね」と応じています。さらに丸谷氏は、「月と花を、そうだなあ、一人が三句くらいずつ用意していけばいちおういいんじゃないか」と又言っています。こういう連句をされていたんだなということですね。

ではお次をどうぞ。