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■柳下様
ご意見ありがとうございます。進行中の「我村や」の巻の、「ウ7~9の三句にカタカナ語4つ」と、カタカナが多いのではないかというご懸念ですね。カタカナ語を使った句の視覚的な印象(効果)というのは、懐紙面(かいしづら)を大事にする連句では、無頓着であってはよくない要素です。芭蕉作品でも、カタカナではありませんが、「加茂のやしろは能き社なり 芭蕉」と、一句中でも同字を変化させて用いるなど懐紙面への配慮が随処に認められます。カタカナ語にも同じような気遣いがあっていいと思います。
一般論としては、カタカナ語の打越は避けたい、一巻に何句ぐらいならうるさい感じはないようであるといった論はありますし(昔は六句くらいまではよいという指針を示された先達もいました)というのは首肯できるところですが、さて実際の付合い場面は、作法や覚え書きを闇夜のちょうちんのように掲げて進むというものではありませんので、勢いやハズミでいろんなことが起きてきます。
ご指摘のことは一巻の流れのなかで見ないといけないところですが、確かに、カタカナがまとまって出ていて、もっと少ない方がすっきりしていいのでは・・という印象もあるかも知れませんね。でも例えば、「コウノトリ」→「こうのとり」と一直すれば改善になるのかというと、余りこうした懐紙面にとらわれるのもどこか不自由な感じします。優先するべきは、一句の姿、内容、付味ということで、カタカナ語の溢れる言語環境の中では、カタカナ語を特別扱いするのもほどほどに・・という感じでおります。雅語・やまとことばの連ね歌である連歌では漢字・熟語さえも注意深く排除されますが、わたしたちがやっている俳諧は、雅語以外の様々な俳言・言語表現も自在に駆使するハイブリッド文芸であり、カタカナもそうした俳言の一要素と捉えていいと思います。
この辺りは個人的な嗜好もあります。私も意識しないわけではありませんが、カタカナ語の使い方に余り強い縛りをかけることもないと思っています。今から言ってしまってはなんですが、ナオ以降、こんな風にカタカナがまとまって出て来る場面は、もうないかも知れません。
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歌仙「我村や」
我村や春降(ふる)雪も二三尺 一茶
雛の使ひの昼くらふささ 雀羅
大干潟人力飛行夢に見て 紅鯨
錠剤の粒床に零るる 可不可
娘の探す巣にゐる筈のハムスター 柳下
迷路の月はひまわりの中 桃 夏・月
ウ
眩しげに薄荷水のむご住職 小石
善財童子の旅も終わりに 麦子
原語にてマルテの手記を読み了える 華美憂
教務課からの急な呼び出し 桃
裏町をちょっとぶらぶらしてただけ 柳
まぶたの母は世間知りすぎ 羅
ハイタッチして舞い降りるコウノトリ 紅
おやつの時は豚のカンカン 桃
曲馬団カーテンコールは三度まで 麦