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#48624
雀羅
ゲスト

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米字「風鈴を」           2019.7.13 起首
 
風鈴を見てゐる猫の夕かな           桃太郎
 ほたるぶくろに灯(トモシ)入る頃         雀羅
咳払影絵の舞台整ひて              うに
 空気読まない派手な着信            芳
九時五時をしっかり守り窓際に          笑女
 八枚切りのパンは売り切れ            に
なで肩の影をふみふみ小望月           安庵 月・秋
 へちまを下げる宗匠の路地             桃

さわやかにキャッチボールの捕球音         芳
 牛若丸は甲子園かも             しをん
恩師への弔辞を諳んじてをりぬ            閑坐
 花に雪ふる昼の邂逅               羅 花・春
佐保姫はお菓子のように化粧して           桃
 髪をバッサリ切って二幕目 (卒業)       坐
半刻をいけない人と蛍舟               女
 夏の霜にはゆため息が溶け            庵 月・夏
ペン先のインク固まる文机             芳
金運上げる風水に凝り               桃
あの頃も今も聞く耳もたぬ父            女

○笑女さんの原句は「頑固もの聞く耳持たぬ耳の位置」ですが、平句としての付句はもう少しさっぱりと詠まれたよいです。
治定句ちょっと手を入れすぎて気に入らないかも知れませんが、このような調え方でということでご参考までに。

「数へ日の太りゆく赤実南天 うに」、この付句も「/実南天」と下五の前で切る形で、連句の付句では一句立ちの句と言われる
ものです。連句は一句の中で二物衝撃をするのではなく、前句と付句でこれをする、と理解しておくといいと思います。頭では
分かっていても、俳句の長い方はこの形に馴染んでおられるので、一句を強くする思いが無意識にこの形を取らせるということが
あるようです。

芳さん、「月の異名」を沢山知っていますと、近くに「月」の字があって「月」と詠まなければならない時大いに助かります。ついでに
「月」の去嫌は五句去りですが、これは天象としての「月」で、「月次(つきなみ)の月」の時は同字去同様三句去りです。
(俳諧の)「式目歌」というものに、「衣季や竹田船路夢泪月松枕五句隔つべし」をというのが流布されていますが、ここにいう「五句隔つべき」「月」とは天象としての月です。

先日ある連句大会の作品集を頂戴し、その中である選者の方が、「発句に五月とあって五句目に望月とあるのは式目違反」と書かれているのを見ましたが、このような場合も上の考え方に添うべきものと考えます。もっとも、発句に出た漢字は一巻全体に渡って再出を避ける等(これは式目というより美学というところかと思います)、いろんな考え方ありますので、普段疑問に思うことを出来る限り取り上げてみたいと思います。

蕉門の連句では以下のような例があります。元禄6年、歌仙「芹焼や」の巻 ナオ3~ナオ7

  旅瘡やながき五月の船どまり          濁子  (月次の月)
   名残をかせぐ安藝の廣嶋           芭蕉
  音信(おとづれ)は見知らぬ伯母もなつかしく  凉葉
   元米計る沙々の奥殿              子
  焼たてゝ庭に鱧するくれの月           蕉   天象の月

それではではどうぞ。