返信先: インターネット連句を始めます。

ホーム フォーラム インターネット連句 Vol.1 インターネット連句を始めます。 返信先: インターネット連句を始めます。

#58452
光明
ゲスト

インターネット連句
 鳳蝶「仏蘭西の友」  
10月25日
 皆様、お待たせしました。左1句目の冬月に11句の投句がありました。この形式の特徴として蝶の句を一句、四季いずれかで詠むことになっています。すでに秋と夏では詠まれず、残りの冬か春かという選択肢のある中、冬蝶を詠まれた句が、4句ありました。捌きとしてはオーソドックスに春の蝶が佳いかなと思っていましたが、冬蝶の生きる環境の過酷さが詩になると考え、その4句の内のすみれさんの句、「凍蝶は優しき月に見守られ」を採ります。「月」の見守りの、その先に「弥陀のてのひら」が見えました。

 次の、左2句目は冬の短句をお詠みください。

 今回の形式「鳳蝶」には表・裏はございませんが、基本的な式目は歌仙式に倣って進めたいと思います。なお仮名遣いは歴史的仮名遣いとさせていただきます。不馴れな方はこちらで直しますので現代仮名遣いでも結構です。また、同字は一語一会です。
 それでは、左2句目の締切りを10月27日の20時とします。揮ってご投句ください。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
   鳳蝶「仏蘭西の友」  2020.10.02起首

右 名月や声懐かしき長電話         芳(月)
   葡萄酒醸す仏蘭西の友        光明(秋)
  蔦紅葉城壁朱く彩りて         秋草(秋)
   眼鏡はづして合はすフォーカス    小石(雑)
  あやとりの川がたちまち山となり   しをん(雑)
   風通りくる湯屋の籐椅子      炬燵猫(夏)
  熱帯魚横目にヨガの猫ポーズ     しをん(夏)
   がつつり飯のレシピ定まる      遊子(雑)

中 箸置きは清水焼の色違ひ        安庵(恋)
   切符二枚を予約する夢        ゆき(恋)
  シューマンの余韻に浸る初デート    遥夢(恋)
   そつと触れたる弥陀のてのひら    遊子(雑)

左 凍蝶は優しき月に見守られ      すみれ(冬月)
                       (冬)
                       (雑)
                       (新年)
                       (雑)
                       (春)
                       (花)
                       (春)

皆様の付句
凍蝶は優しき月に見守られ      すみれ(冬月)
*この句をいただきます。

駆け抜ける筋斗雲に冴ゆる月      閑坐(冬月)
*前句からお釈迦様の掌のエピソードを想われ、孫悟空に結び付いたようで、発想の飛躍が面白いと思いました。惜しいのは、「冴ゆる月」という冬の月を合す必然性が弱いということですね。

たましひを月に吸はせて蝶凍つる    遊子(冬月)
*凍つる理由は蝶の魂を月が吸い取るから、という発想の意外性に良質なメルヘンを感じます。

傷ついた凍蝶の翅癒す月         芳(冬月)
*「傷ついた」まで言ってしまうと、健気な「凍蝶」のイメージの拡散が進み、月の句なのに賞翫する意が薄くなり、主役ではなくなってしまいますね。あくまでも冬月をメインに置く必要があります。

時雨月座敷わらしも寒かろか      秋草(冬月)
*この「時雨月」は時候の「神無月」の傍題なので、天象の月にはなりません。選択を間違えられたようです。それと、「寒かろ」も冬季と言えるので、季重なりになってしまいますね。

寒林を抜けて有情をはこぶ月      小石(冬月)
*「有情」とは、心情を持つあらゆる生きものと解されるので、月がそれを運ぶという意味が、伝わりません。作者には別の解釈が有るのかも知れませんが、「有情」という単語の果たす働きには必ず限界があると思います。

梟の狩り見やる月村はづれ       ゆき(冬月)
*ここで「村はづれ」は必要か必要でないかと言えば不必要です。「梟の狩り」と、それを見守る「月」の関係性だけで句は成立します。あくまでも月の賞翫の意を保たなければならないのです。「梟の狩りを見遣るは眉の月」としましょう。

静かなる月下の眠り冬の蝶       遥夢(冬月)
*月下に安息を求める「冬の蝶」の擬人化とも読めますね。イメージが湧き、絵になります。

月冴ゆと川の流れに乗りてあり    しをん(冬月)
*「月冴ゆる川の流れも煌めきて」と、推敲してみました。

かんじきの跡点々と月照らす     炬燵猫(冬月)
*「かんじき」は雪の上を歩く道具で、この句では人の歩行の跡を表わしていますが、事件か事故かその先に起こっている事、あるいは起った事をいろいろと想像させて面白い句です。

氷輪に明日の道を照らされて      安庵(月)
*この「氷輪」は月の異名として用いられますが、その際にはあくまでも秋の月としてです。「氷」が冬季と思わせますが、それは氷の反射性に月のイメージを重ね、比喩的に用いているだけなのです。