丁太さん、ようこそ。
「伊予の湯桁」形式は芭蕉の高弟である其角が最初に興行、つまり創案した形式です、別所真紀子氏の記するとこ
ろによると、「伊予の湯桁」は宝永二年の朝曳編『浪の手集』にあるもので、「スベテ三十三アリ唯多キコトヲ云ル
ニヤ是ヲ号トス」と前書があって発句は雑の句だそうです。
この「三十三」が句数を意味しており、この数字の根拠としては源氏物語にも所縁があるようで、その注釈書のひ
とつである一条兼良の『花鳥余情』の中で、「六花集に古歌とていだせり」と指摘する歌に「伊予の湯の湯桁の数は
左八つ右は九つ中は十六」というのがあり、そこに伊予の湯桁の数が三十三であったと歌われており、其角はこの数
に目を付けて、俳諧の形式に取り入れたものと思われます。
別所さん主宰の連句誌「解纜」掲載の伊予の湯桁作品は、古歌に因んで表八句、中十六、裏九句の合計三十三句形
式で巻かれています。
今回の興行に於いてもこの句数と、二花・三月の配置に倣って進めて参ります。
以上が、形式と今回の興行上の説明になります。