日和さんから、季重なりについて次のようなお訊ねがありました。
「月と南瓜は季重なりで、三秋ではなく仲秋や晩秋の季語と月であれば構わないのでしょうか」と言うことです。
お答えは「季重なり」は嫌いましょうということになります。月と南瓜は三秋と仲秋だから駄目なのではなく、季語の持つ季節の余情という働きが一句の中に二つあれば、季節の味わいが分散されてしまい、一句のまとまった表現が弱められてしまう恐れがあるということです。
月と言えば秋季とされているように、特に秋の月の場合、連句に於いては花と同様に賞翫の対象であることから、古来より大切にされており、月の季語だけで月を詠むことが求められます。
ただし、他季の月を詠む場合は、秋以外の季であることを、月以外の季語を用いて表現する必要があり、どうしても「月」字との組み合わせになりますが、その場合の月は秋月の賞翫の意味よりは軽く、月齢で変化しつつ現われる天象の月であり、その輝きを得るには、他季の季語との取合せに委ねるしかないということだと思います。